2008年05月10日

沈没は、自分の足で歩いた旅人にだけ訪れる 〜0804読書記録〜

電車通勤の時間がなくなって、格段に本を読まなくなりました。
なぜか家で本を読めない人なんだよね・・・。

それでも、せめて月に一冊ぐらいは本を読みたいものです。


<4月の読書記録>

スナフキンの手紙





キャラメルボックスのお芝居を見に行ったから、
その流れでなんとなく戯曲を読んでみたくなりました。

で、ものすごく前にビデオで見たことがある、鴻上尚史の「スナフキンの手紙」を図書館で借りてみた。

・・・が、
いくら読み進めても、いまいち記憶と結びつかない。
おかしいな〜と思って調べたら、私が以前ビデオを見たのは、
鴻上尚史の「トランス」の方でした。
いったいどこで記憶違いをしたのか・・・
たぶん、このタイトルに惹かれて勘違いしたのだと思う。
このタイトル好き。


以下、感想

叫ぶだけで殺される、黙っていても殺される。
語る言葉をなくした国民は、趣味嗜好により細分化されたコミュニティーに属しながら、自己実現のために武器を手にとって戦う。
そんなパラレルワールドの日本でのお話。

細分化していくコミュニティーとか、
完全匿名、書き込み自由、削除なしの「やんすネット」とか、
1994年に書かれた戯曲ですが、今にも通じる内容なんじゃないでしょうか。

テーマは、ずばり
「語られない言葉」
まえがきのところから明確に打ち出されています。
なので、読みながら「語られない言葉」って何かなあ、と考えるわけです。

言葉というのを辞書で引くと、
言葉とは、感情や思想を伝える手段として用いられ、社会に認められた意味をもつ音声や文字。
なので、本来なら、自分以外の人へ発信することが前提となっているはず。

では、なぜその言葉が語られないのか?
パッと考え付く原因は3つ。
・語るべきものをもたない
・思いをうまく言葉にすることができない
・語ることができる環境ではない

パラレル日本では、それぞれが自分の信念に従って武器を持っていることから、
・語ることができる環境ではない
という状況なのかな。

言葉を交わすことができないから、
コミュニティー同士のコミュニケーションもとれないし、
コミュニティー内部もコミュニケーションが成立せずに細分化していく日本。
一方、コミュニケーションが成立していない祖国を出て、
アジアの街で孤独に沈没していく旅人。

スナフキンの手紙とは、
沈没している旅人達がシルクロードを旅するノートに綴った、
「語ることができなかった言葉」のことです。
伝えたい相手に直接語ることはできなかったけど、
ある人により「手紙」として、パソコン通信上に流された言葉たち。

パソコン通信で本来伝えたい人に届いた言葉もあったかもしれない。
誰の目にも触れずに忘れ去られた言葉もあったかもしれない。
手紙って不確実。
でも、「伝えたい」っていう意思がある言葉。

スナフキンの手紙が、パソコン通信を通じて隠れたベストセラーとして広まっていく。
スナフキンの手紙の内容は劇中で明示されなかったけど、
私は、哲学的な偉そうなことが書いてあるのではなく、個人的なつぶやきなんだと思う。
あの人が好きだった、けど言えなかった。一緒に空を見たかった・・・。
本当は・・・。
個人的な、でも誰にでも経験があるような出来事、感情、言葉たち。
ある意味で集合的無意識のようなものなのかな。

個々がばらばらになっていく世の中で、
沈没していく旅人達の言葉が「なぜか心ひかれる」としてみんなに共有されていくわけです。

「語ることができなかった言葉」が、
パソコン通信上とはいえ、「語られた」ことにみんなが共感したんじゃないでしょうか。

ところで、まえがきの中には「語られない言葉」が2種類でてきます。
ひとつは、「語ることができない(Can't)」言葉。
今までくだくだと書いてきた「語られない言葉」とはこのことです。
自分の思いを素直に、ミもフタもなく語ることは難しい。
まるで戦いのようだ、と。

そして、自らを語る戦いが終わった後に「本当の語られない言葉」が生まれると鴻上さんはまえがきで書いています。

この戯曲の中に、「本当の語られない言葉」が出てきたのか・・・?
私は出てこなかったと思います。
自分の思いを語る戦いまでの段階にとどまっているんじゃないかな。
物語は「ファントム・ペイン」に続くらしいので、
「本当の語られない言葉」とは一体何なのか?
というのは「ファントム・ペイン」で描かれるのかもしれません。


劇中にある、
沈没する事は恥ではない。パッケージ・ツアーの旅人には沈没する事はあり得ない。
沈没は自分の足で歩こうとした旅人にだけ起こる。
という言葉がよかった。

自分の足で歩くからこそ、挫折して、その先に語るべき言葉を得ることができる。
やっぱり自分で歩かねばダメなのですよ。
うむ。

多重人格者のキャンディーの存在は最後まで謎でした。
キャンディーが抱えているいろんな人格=細分化しているコミュニティー
無意識の解放=集合的無意識としてのスナフキンの手紙
って感じで、
キャンディーの存在が物語全体の比喩なのかな、とも思ったけど。

でもキャンディーの「伝えたい言葉」っていうのが最後まで出てこないんだよね。
いろいろ語っていたけど、それはあくまで「前世に従って演技」であって本人のものではなさそうだし。
キャンディーだけは最後までどこの組織にも所属しないし。
キャンディーは
・語るべきものをもたない
(このお話の中では)例外的な人間なのかも。


しかし、これだけのストーリーをお芝居で理解するのは私には無理です。
この人が書いた脚本のお芝居を見たいという気持ちは起きなかったな。
むしろ戯曲でじっくりと読みたい・・・。
(ダンスの部分とか、お芝居じゃなきゃ面白くないんだけどさ)


<4月のお花>

いつもきれいな花壇

近くの道路沿いにある花壇。
誰が管理しているのかよくわかんないんだけど、
(個人の敷地じゃないだろうし・・・)
いつも手入れが行き届いていて、楽しませてもらってます。
今は花盛りで、花壇もとても賑やか。


<4月の猫さん>

うちの近くに住んでるのらくろさん。

逃げるのらくろさん

一人暮らし用アパートだから、たぶん昼間は人気がなくて、
シャイな猫さん的にいいところなんだろうね。
時々、2階の廊下にまで入り込んでくるのですが、
そんなときに私が家を出たら、逃げるところが少なくてパニックになってました。
まあまあ、そんなにあわてず、うちに上がっていったらどうだい?
と声をかけたんだけれども、逃げられたところ。
posted by ひんべえ at 22:05| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月22日

本棚のエントロピーは増大中・・・ 〜3月の読書記録〜

ある意味でまとまった読書時間になっていた通勤時間が、
4月から大幅に短縮されました。

これはよいことです。やっぱり体が全然楽。

去年の4月に、とても長い通勤生活が始まった時には、
「せめて本でも読んで、日々のうるおいを・・・」
なんて高い志をもっていたんだけど、
実際は居眠りしちゃったりとかで、そんなに読めなかったな・・・(´・ω・)

なんて反省しつつ、3月に読んだ本を本棚にしまっていたら・・・
なんと!本の重みにより棚板が崩壊寸前!( ̄ロ ̄|||)
(本が入りきらずに2段収納とかしているからそういうことになる)

ホントに壊れる前に読まない本は処分せねば、と思いつつ、
どうしても本の処分ができない私です・・・。


<3月の読書記録>

魔女の宅急便




子供のころから泣けるアニメと、大人になってから泣けるアニメってあると思います。
私が子供のころから泣いたのは、
「帰ってきたドラえもん」
小学生の時に初めて単行本で読んだ時から号泣でした。
ちなみに大人になって、偶然車内放映で見た時も号泣。

んで、大人になってから泣けるアニメというのが、
「魔女の宅急便」

「魔女の宅急便」が公開されたとき、私はちょうどキキと同じぐらいの年でした。
でも、イマイチこの作品のよさがわからなかった。
ラピュタとかナウシカのほうがおもしろいじゃん!なんか地味!って感じで。

ところが、大人になってから金曜ロードショーで見たら号泣ですよ (T_T)
自分自身も就職して一人暮らしを始めて、
それから見た「魔女の宅急便」は、なんだか胸を締め付けられるような感じがします。

そんなわけで、本も読んでみることにしました。
映画ほど大きな盛り上がりはないけれど、
キキが自分で魔女になることを選んで、自分で町と仕事を探して、
悩んだり傷ついたりしながら精いっぱい生きていく様子が、
映画版のキキよりも身近に感じられて、私は好きでした。

それにしても・・・ジジみたいな猫がそばにいてほしい・・・
それは子供のころから変わらないな。


失はれる物語




売れていそうな作家さんの本を読んでみようシリーズその1。
初乙一でした。
グロいのが苦手な私は、黒乙一に引っかからないように注意しながらのチョイス。

短編集では一番面白い作品を一番最初に置く(つかみとして)
という編集方針があるらしいのですが、
この短編集では、一番最初の「Calling you」が一番良かったかも。
ミステリーだから詳しくは書きませんが。
適度なボリュームでまとまっていたんじゃないでしょうか。

あとはあとがきの「ウソカノ」
この短編集の主人公たちを端的に表わしていて、あとがきとしてわかりやすかったと思います。


探偵ガリレオ




売れていそうな作家さんの本を読んでみようシリーズその2。
初東野圭吾でした。

小学生〜中学生ぐらいのときに「推理小説ブーム」が私の中でおきて、
アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」で震えるほど感動したのですが、
(題名嗜好症としては、この題名もgood!)
最近はすっかり推理小説を読まなくなっていました。

ということで、久しぶりのオーソドックスな推理小説を期待したのですが、
やっぱり湯川助教授が活躍するわけですから、科学のお話になるわけです。
別に科学のお話が嫌いじゃないけど、
推理に全然かかわれないので、「おお!」という驚きよりも「ふーん。なるほどね」と感心する感じ。
もうちょっと推理小説らしくて、もうちょっと重量感があるものが読みたい気分だった。
特に印象に残ったお話はなし。

東野圭吾は他の本を読んでみた方がよさそうだ。


生物と無生物のあいだ




売れていそうな作家さんの本を読んでみようシリーズその3。
新宿の紀伊国屋にどどーんと幕が下がっているのを見かけた。

章が変わるたびにブチブチと緊張感が途切れる構成は好きじゃなかったけど、
面白く読めました。

というか、シュレーディンガーってホントに天才だな!
あの有名な「シュレーディンガーの猫」だって、
凡人にはいったい何が問題なのかを把握するのだって大変な話だけど。

物理学者のシュレーディンガーが「生物とは何か」という本を書き、
その中で、
「原子はなぜそんなに小さいのか?」という問いを出します。

たとえば今の日本で、「原子とは非常に小さいものだ」ということを知っている人は大多数だと思いますが、
「原子はなぜそんなに小さいのか?」という疑問に気がつくのは一体何人いるのか。
そこに疑問を持つ人が学者なんだろうなあ・・・

「生物とは何か」という本を読んでみたくなりました。
たぶん難しいんだろうけど。

しかし、題名の「生物と無生物のあいだ」が何なのかはよくわからず。
きっと「生物にはダイナミック・イクイリブリアムがある」ってことなんだろうけど。
ただ、全体として、生物が持つシステムの美しさが話の中心になっていて、
無生物(その境界にいるウイルス)の話ははじめの方だけだったので、
“あいだ”と言われると「?」という感じ。

無生物にだってスタティック・イクイリブリアムの美しさがあるんじゃないだろうか。
(ウイルスがある条件のもとで結晶化する、というのは興味をそそられたんだけど)
その“あいだ”には、深い溝があるのか、緩やかなつながりがあるのか、
「生物と無生物のあいだ」って言われてしまったので、もやもやとしてしまいました。

「生命とは動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)にある流れである」
という話はとても面白かったけどね。
常に平均的な姿を取りながら動き続ける生命。
世の中に対する新しい視点をもてたと思います。


<3月のお花>

職場の近くは桜祭りでした。
春爛漫
春爛漫


<3月の猫さん>

去年の4月に新しい職場に来た時には、
皮膚病に罹って痩せていた猫さん。

溝の口のねこ

お互いつらいけど、なんとか二人とも無事に一年間過ごそうね、
と心の中で誓い合った友だったのですが、
彼は近所の人にかわいがられ、冬になったらムクムクと太ってきました。

これなら安心。

お互い、良い出会いに恵まれてよかったね。
posted by ひんべえ at 01:15| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月30日

ペンギンだもの 〜2月の読書記録〜

先週、40度近い熱を出したのですが、
忙しくて仕事を休むこともできず、体調がいまいちな今日この頃です。

おかげでゆっくりお花見をすることもできませんでしたよ。
やれやれ。
これが厄年ってやつなのでしょうか。


<2月の読書記録>

2月は真面目に仕事の本を読んでいたので、
趣味で読めたのは絵本のみ。













suicaペンギンのもとになったペンギンの絵本です。
ペンギン大好きな私は、これは欲しかった。

私は自己紹介で、
「運動神経はペンギン並です」というのがお決まりなのです。
陸上ではよちよち歩きだけど、海の中なら任せて!っていうことで。
なので勝手にペンギンに親近感。

suicaペンギンでは、今のCM、ケータイ Rock!篇、がたまらなく好きです。
あと、最近携帯を「W61CA」に変えたのですが、
この機種の待ち受け画面のアデリーペンギンが超お気に入りです。
いろんな人に自慢しまくり。
電車に乗っているときも、用もないのに携帯を開き、アデリーペンギンのかわいらしさを見て満足しています。


と、ペンギンについて語りだすと長いのですが。
suicaペンギンの絵本3冊。ほのぼの系です。

「ペンギンゴコロ」は「わたしのココロはペンギンのかたちをしている」で始まります。
自称ペンギンの私は納得。
私が見たり聞いたり笑ったりするとココロのペンギンが立派に太るのなら、
私はできるだけ楽しいもの、美しいものをペンギンに食べさせたい。
悪いものを食べさせたらお腹を壊すだろうから。

「ペンギンスタイル」は「ぼくの大好きなきみはペンギンに夢中」で始まります。
ほのぼのなラブストーリー。
「体型もペンギンに似ている」と言われちゃうのはしょんぼりだけど、
こんなやさしいキングペンギンがいてくれたらいいな。

「ペンギンジャンプ」は「ペンギンが南極とそのまわりの小さな島にだけ住んでいた時代は終わりを告げた」で始まります。
それまでの2冊の「擬ペンギン化」とは違って、
ペンギンが人間社会に飛び込んでいくお話。
自前のタキシードを使って結婚式の司会をしたり、レスリングにチャレンジしたり。
夢と憧れをもって海を越えたペンギンは、人間社会に溶け込もうと日々努力しています。
でも、畑仕事には向かないらしく・・・野良着姿のペンギンがかわいい・・・

3冊の中では「ペンギンジャンプ」が一番笑えて好きかも。


<2月のお花>

通勤路で、1月〜2月にかけてひっそりと咲いていた黄色いお花

通勤路

お花が少ない時期に、貴重な存在でした。


<2月の猫さん>

朝、いつもここで寝ている猫さん。

朝のねこさん

たぶんあったかいに違いない。
まだ暗い時間だけど、おひさまが出れば日向ぼっこができるんじゃないかな。
posted by ひんべえ at 21:17| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月24日

つわものどもの夢の果て 〜1月の読書記録〜

2月も終わりに近づき、三寒四温なお天気になってきましたね。
春ももうすぐ・・・だけど、
金曜日は「暖かくなったね」と喜んでいたのに、
土曜日に京都に行ったら、あまりの寒さに凍えておりました・・・。
週末は「四温」に当たって欲しいと思う、寒さが苦手な私。


<1月の読書記録>

悲しき熱帯





私が秋に旅行したジープ島のある、ミクロネシア連邦というところは、
ストーンマネーが現役だったりと、伝統的な風俗が色濃く残る国だったのです。

そんな話をしながら、ハンモックで本を読んでいるときに、
そういえば、大学生の時にレヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」を読もう、と思っていたのに読まないままだったなあ・・・ということを思い出した。

ってことで、今更ながら図書館で借りて読んでみた。

まず驚いたのは、
「レヴィ=ストロースって生きてたんだ!」ということ。
いや、だって構造主義の祖ってことで有名だし、悲しき熱帯だってそれなりに古い本だし、
なんかもう、その功績が歴史的なものになっているから、てっきり亡くなっていたのかと。
それが、2001年に発行された中公クラシックス版のためにメッセージまで寄稿しているんだから、超びっくり。
大変失礼いたしました・・・m(_ _;)m
(ちなみに、今年で御年100歳!!)


「悲しき熱帯」といえば、文化人類学の古典的な名著。
教養として、一回ぐらいは読んでみたいと頑張ったのですが、
・・・正直言って、日本語訳が読みづらいです。

訳者の専門は文化人類学。
失礼だけど、やっぱり文化人類学者ではなく、専門の翻訳家が翻訳するのが一番いいんじゃないかと思う。

一生懸命読んだんだけど、「それ」とかの指示語がなにを指しているのか不明瞭な部分が結構多かったと思う。
レヴィ=ストロースの文章は明晰じゃなかったのか。

なので、期待して読んだ割にはつらい読書となりました。

しかも、レヴィ先生ったらなかなかブラジルの話を始めないしさ〜。
一巻の93ページまで読んだって、
サントス行の準備のため、マルセーユに到着するまでしか進まなかった時には、
「レヴィ先生、ブラジルまで行く気あるんだろうな・・・(-_-;)」
と思わず疑ってしまいましたが。

その間の、ユダヤ系故の苦労とか、船の上で見た夕陽の美しさとか、
興味深いことは興味深いんだけどね、
こういう部分の日本語が、残念ながら読みにくいんだよね。
しかし、文化人類学の著作だというのに、
「日没」って章を作って夕日の叙述に丸丸使ってしまうあたりが、
「悲しき熱帯」の特徴なんだろうな。

そしてやっと新大陸についたとおもっても、
まずは、開拓者としてやってきた人たちの悲惨な生活についての観察が続きます。
金が出るとかダイヤが出るとか、新しく農場を作ろうとか、
いろんな夢を持って移住してきたヨーロッパの人たち。
ところが現実はそんなに甘くはなく、
過酷な自然環境やらなにやらで挫折し、
このころには食べるのが精いっぱいという悲惨な生活。
今から100年もさかのぼらないのに、
ブラジルでそんなに悲惨な生活があったのかと、結構驚き。

西洋文明はインディオを壊滅させようとしていたけど、
アメリカ大陸は、まだ西洋文明をはねつけていた。
インディオと開拓者。
この本には悲しい人類がたくさんでてくる。
それが最後に、
「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」
という結論につながってくるわけですが、
そのあたりは、難解な日本語に挫折して読み切れていないので、
機会があったらまた読み直したい。

あ、読みにくい読みにくい、と文句を言いましたが、
文化人類学っぽい、インディオの文化の部分は、普通に読めて面白かったです。
全体の半分ぐらいだけどね。
けど、苦戦したので1月に読めたのは2冊だけです。
レヴィ=ストロースの著作は題名が素敵なのが多いのですが、うむ。


<1月のお花>

歩いていると、冬でも咲いているバラを時々みかけます。
冬のバラ

バラって結構たくましいのですね。


<1月の猫さん>

通勤路で、人懐っこいニューフェイスを発見。
猫アップ

・・・近づきすぎです。
携帯のストラップに反応するので、なかなか写真が撮れない。
猫後頭部

別の日、寝ているところに出会ったので、声をかけるも全く起きず。
(たぶんここは暖かいのだろう)
爆睡猫

なでても起きず、鼻を触ったら、
「ふにゃ?」
って感じで起きた。けど、寝ぼけてた。
寝起きが悪いんだね。
posted by ひんべえ at 23:41| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月15日

星見櫓の旅日誌 〜12月の読書記録〜

今更ながら12月の読書記録。

遅いな!
忘れないために書いているはずなのに、書く前から漂う手遅れ感。
今週末からPCが入院してしまうので、その前にがんばります。


<12月の読書記録>

銀河鉄道の夜





ジープ島にて。
あっちゃん(小学3年生の女の子)が、毎晩お母さんに本を読んでもらっていて、それが風の又三郎だった。
それで、帰国後はひさしぶりに宮沢賢治を読んでみようかな、と。

「よだかの星」、「オツベルと象」、「セロ弾きのゴーシュ」など、有名作品も一緒に収録。
なかには「ビジテリアン大祭」とか、あんまり面白くないのもあったけどさ。

やっぱりいいね。銀河鉄道の夜。
車窓から見える風景の、鉱質なイメージがとても好きです。

そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光の三角標が、うつくしく立っていたのです。


あと、鳥を捕る人の話も結構好きです。
雪解けのように砂にかえっていく鷺達。
鳥捕りの
「ああせいせいした。どうもからだに恰度合うほど稼いでいるくらい、いいことはありませんな。」
という言葉が意外と奥深い。


天の川つながりで、「双子の星」も結構よかった。
正統派の童話、って感じ。大人になって読むのもいいものです。
妙に丁寧な言葉遣いの会話を見ると、なぜかノスタルジーを感じます。
舞台が空だから、西に残ったお月さまが吐いたリンゴのにおい・・・とか、天国な感じが銀河鉄道の夜と共通。

この中で、暴れん坊の箒星が、「俺のあだ名は空の鯨」と名乗ります
クジラホテル
これはフランスのデザイナーの設計ですが。
何か共通のイメージがあるんでしょうか。


図書室の海





次に読みたい本が手に入るまでに間が空いてしまったので、書店で適当にチョイス。
図書室も好きだし海も好きだし、だからきっとこの本もいい本なのかな、と思って。

なんら前知識もなく手に取ったのですが、
10編の短編のうち、他の小説の「予告編」が3つ収録されてたのに驚いた。

恩田陸作品をまったく呼んだことがなかった私には、
3/10が予告編って、ちょっと消化不良感が・・・。
(「イサオ・オサリヴァンを捜して」は、予告編の割にはボリュームがあって、それなりにまとまっていたけれど。)

ちなみに、表題作の「図書室の海」は「六番目の小夜子」の予告編です。

でも、この中での一番のお気に入りは「オデュッセイア」でした。

心優しいココロコの物語。
世界中の芸術家たちによって飾られた中庭には、異国情緒があふれる市が立ち、
ココロコの壁にあいているポストには、見知らぬ人が何年も先に受け取るであるであろう、気の長い手紙が預けられる。

ココロコの生い立ち、受難、繁栄、そして時代の移り変わり。
歴史として淡々と語られるけど、ワクワクしながら読めました。
ココロコがケナゲで超いい子だ・・・。

すごくいいんだけど、題名の「オデュッセイア」はどうかな〜?
確かに苦難は多い旅だけど、
でも、旅というより、ココロコの深い愛が印象に残るから、
ココロコの優しさがあふれるような題名のほうがいいと思う。
いい案は思いつかないんだけどね。


火星の人類学者





脳神経学者の医学エッセイ。
患者はトゥレット症候群、自閉症、健忘症などなど。
そういう障害に突き当たった人たちが、自分の世界を再構築し、どうやって適応していったのか?
本を読みながら、私の頭には、長い年月を生きる間に倒れたりとか岩を抱え込んだりとか、
いろいろな出来事を取り込んでしまいながら上に伸びていく、
深い森の節だらけの大木のイメージが思い浮かんでいました。

1話目の、事故で全色盲になってしまった画家の話が、
脳神経科の解説がバンバンでてくるのでくじけそうになるけど、
我慢して読み進めると結構面白いです。

色って、一番多く反射した光を眼が検知して、それで色が知覚できる・・・と思っていたけど、
実はそんなに単純ではないらしい。
その単純な理論だと、
なぜ自然光の下でも蛍光灯の下でも、同じような色で見えるのか?
という疑問が解決しない。
これは、人間の脳が補正をかけているのだそうです。
ちなみに、今のデジカメの技術でも、この補正をいかに人間の脳と近い形で行うか、というのが難問らしいよ。

画家は事故により、目そのものではなく、色を感知する脳の部分に損傷を受け、
色が全く分からなくなってしまう。
ある日突然、コントラストのきついモノクロだけの世界に変貌してしまう絶望。

しかし、試行錯誤の後に、補正がかかっていない世界を、色に惑わされずに純粋な形を見ている、という認識に変わって、
自身の新しい芸術を作っていく。

「慣れ」の一言ではすませられない、新しい世界を獲得するための血のにじむ努力があったのでしょうね。
明かりが変わるだけで見え方がまったく変わる世界、どんな感じなのでしょうか。


これとはちょっと逆の方向なのは、
生まれてからずっと目が見えなかったけど、白内障の手術をしたら50年ぶりに目が見えるようになった人のお話。

目の機能が回復すれば、人はすぐに「見える」ようになるのか?というと、
ずっと目を使っていなかった人は、脳がそういう準備ができていないので、見えるけど、それが何なのかわからない、という状態になるらしい。

目が見えないと、「○○歩歩けば障害物」みたいな、時間軸だけの世界だったのが、
目で見る世界は奥行きがあったりとか、視点を変えるとまったく違う形になるけど実は同じものだったりとか、
そういう現象に対する理解は、自然に備わっているのではなく、学習によって得るもの。
だから、「目が治ったんだから自分の目で見ろ」というのは、とんでもなく無理な注文らしい。
結局この人は、別の病気によって住み慣れた世界に戻ってしまったけど。

奥行きがわからないと言えば、写真や絵画というものも、
それを理解するには学習が必要らしいよ。
確かに、現実を2次元で表現しているわけだからねえ。
小さいものは遠い、暗いものは遠い、みたいな暗黙のルールを、
我々は知らない間に学んでいたのですね。
現実を2次元に変換するカメラって不思議だ。


表題となった火星の人類学者の社会適応の方法

自分は火星に住んでいるつもりで、人間を観察してみる、
自分には人間同士の、言葉にならない意思を受け取ることができないから、
頭の中に膨大な人間行動のデータベースを作って、
人間を相手にする時にはデータベースから事例を参照して対応する。

あまりにも感覚が違う人を相手にする時は私も、似たような感覚を感じることがあるけど、
自分は火星の人類学者だと自覚するときのさみしさってどんなものなんだろうか。
それも含めて自分だと、私は愛せる時が来るのだろうか?


<12月の朝日>

最近はずいぶん日の出が早くなりましたが、
12月は太陽より早い出勤時間でした。

朝日
燃えるような東の空


<12月の猫さん>

八丈島に行ったとき、レグルスの猫さんが一回だけ出てきてくれました。

レグルスのねこ
結構レアキャラらしいよ。
posted by ひんべえ at 00:15| 東京 ☀| Comment(6) | TrackBack(0) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月24日

ビーチとハンモックと一冊の本 〜10、11月の読書記録〜

10月の読書記録書くの忘れていた!( ̄▽ ̄;)!
ってことに気がついた。
誰も読んでいなくても、未来の私が必要とするの。きっと。

ま、正直10月は、電車の中で爆睡モード&「グロテスク」読んだ後での
「小説読むのが怖いよ(>_<。)症候群」のためにほとんど読んでないんでカットされてもしょうがないんじゃないか、って感じですが。


<10、11月の読書記録>

ローマ人の物語<30>終わりの始まり(上)〜<32>終わりの始まり(下)





リハビリには読みなれた本を。
1年にハードカバー1冊分が文庫化されていますが、気がついたらこれが今年文庫化されてた。

頭から腐っていく鷲の物語。

正直、カエサルとか、ローマ帝国がイケイケだった時のほうが読んでいるほうもワクワクするのですが、
衰退期を読んでもテンションあがりません。

衰退期をうきゃうきゃと読む・・・そんなに私は趣味悪くないし・・・


前評判で、この本は五賢帝の最後、マルクス・アウレリウスから始まるのかと思っていたら、
実際はアントニヌス・ピウスの記述が結構多かった。
よく言われることだけど、
「存続するには変わり続けなければならない」ってことなのかな。
でも結論がそれじゃ、ちょっと陳腐だよね。
今後に期待。

それにしても、ネルウァは実子ではなく最良者を帝位につけたからこそ五賢帝の一人、っていう話は、
なんというか、人として悲しいね。
いや、確かに皇帝の子よりも別の人のほうが有能、っていうのは確率論としても当然のことだろうけどさ。
なんか、「皇帝の子だから」ってことで皇帝になった人、すごく極端に暴君になったりするから。
そんなに極端にダメにならなくてもいいじゃないか・・・と素朴に思うのですが。


君のそばで会おう





ジープ島に行く時、ばたばた準備してたらうっかりハンモックで読む用の本を忘れてきたことに成田空港で気がついた。

超重要なものを忘れちゃったよ!っつーことであわてて本を求めたのですが、
残念ながらイミグレーションを通過した後の第1ターミナルにはキオスク程度の売店しかない。
そこに売っている本は「○○殺人事件」とか、そんなんばっかり orz
なんとか、白いビーチに向く本はないかと探したのがこの本。

銀色夏生さんって読むの初めて。
(詩はほとんど読まないから)
何気に大学の先輩だったんですね。知りませんでした。

失恋の悲しいつぶやきがたくさんたくさん。
旅行先のビーチで失恋の詩を読む女子・・・
・・・うーん、あんまりビーチにはあわなかったかもね (; ̄ー ̄A
特に私には。
(そして相変わらず詩には向かない私)

写真はとてもきれいでした。
あと、飛行機に乗りながら飛行機の詩を読むのはちょっといいかも。

背表紙の
好きなものを好きでいることができるように生きている

っていうのが実は一番好きだった。

そう、好きなものを好きでいること、それはとても難しい。
さらにそれを言葉にするとなると、ね。


South-ing JEEP ISLAND




ジープ島を開拓したオーナー、吉田さんの文と、宮地さんの写真からなる本です。
ジープ島の写真展に行くたびに購入のチャンスがあったんだけど、
「予習しないでいくのも、いいものだよ」と言われたことがあって、
行く前には見ないようにしていました。

帰ってきてから読もうと思っていたんだけど、ジープ島で購入できたので、
結局風が強い日に読んだのはこの本でした。

その場にいてジープ島の本を読むのって、なかなかおもしろかったです。

日本で読みなおせば、またあの空気を感じるかな。


<10、11月のお花>

実りの秋
たわわに実る

お花のクリスマスイルミネーション
(ものすごくブレブレでごめんなさい)
ライト花


<10、11月の猫さん>

御蔵島にいたロシアンブルーさん。
ロシアンブルー

普通に歩きまわってます。ちょっと違和感・・・
街を歩くロシアンブルー

朝の日向ぼっこ中。
寒くなると、猫さんは絶好の日向ぼっこポイントを探し出しますね。
日向ぼっこ
posted by ひんべえ at 19:20| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月22日

平積みジャングルの探検 〜9月の読書記録〜

この週末はさわやかな秋晴れで、テニス日和な感じでした。

この間、テニスコートの片隅に小さくて可憐なお花を見つけて、
「このお花を<10月のお花>にしよう」と思っていたのにうっかり写真に撮るのを忘れたことがあって、
今日こそちゃんと写真に撮ろうと(テニスよりも)意気込んでいたのに、
2週間経ったらお花は跡形もなく散っていました・・・orz
とりあえず、そんなお花がいましたということを自分メモ。


<9月の読書記録>

陽気なギャングが地球を回す



「最近、読んでいる本がちょっと偏っているなあ」と思い、
本屋で平積みになっていた本の中から「えいっ」って適当に取ってみた。

おもしろかった!どんどん読み進めちゃいました。
オチも、最後きれいに収まったし。
(きれいに収まりすぎて、先が読めたと言えば読めたけど。)

会話が楽しい小説って好きなのです。
「ゼロで割ると世界が狂ってしまう」っていうエピソードが特に好きでした。


パン屋再襲撃



やはり本屋の平積みの中からチョイス。
「襲撃」もので揃えてみた。
短編集。「ねじまき鳥と火曜日の女たち」は既読。

表題作に出てくる、どこまでも透明な海に浮かぶ船から海底火山をのぞき込むイメージ、
この作品や、他の村上作品を読んだ私自身が抱いたイメージがまさにこれかも、と思いました。
はっきりと見える海底火山、それに対し、透明すぎて見えない海。
でも、絶対にそこにあるはずの海の存在。

表題作の他、「象の消滅」も似たような感じ、で好き。
「ファミリー・アフェア」はちょっと違う。もっとしっかりと足をついている感じ。でも好き。
この3つかな。

あ、「ねじまき鳥」も好きです。
「ねじまき鳥」って言葉だけで、詩だよね。


グロテスク(上・下)



「本屋で平積みされている襲撃もの」を9月は読もうと思っていたのに、
いいものが見つからず、なぜか手に取ったのはこの本だった。

少し読んだ後、くすぐったいような既読感。
そういえば、本自体は読んだことないけど、いつも読んでいるブログで書評を読んだのでした。
(いろいろあれなのでリンクは張りませんが。)
そして、ちょうど友達から舞台「絢爛とか爛漫とか モダンガール版」のお誘いを受けていた、
そこらへんの連想から手に取ったのかも知れない。

いやあ、読むのが辛かった。
出てくる登場人物がイタすぎて。
ちょっと読んでは本から離れて深呼吸をして、そして決意を新たに読み直す、そんな感じ。
村上龍の「五分後の世界」も読むのが辛かったけど、このときは
「先が読みたい!でも中身がグロすぎて吐き気がする・・・」という辛さだったけど、
「グロテスク」は、正直、先が読みたくなかった(笑)。義務感で読んだ(笑)。

読み進めるごとに、自分の中にもいる黒い虫に無理矢理スポットライトがあてられる感じがして、
それがとてもイヤなのだけど、やはり、女であるからには最後まで読もうという義務感。

私も小説の「わたし」と同じく、ユリコと犯人の手記ではなく、和恵の手記に激しく反応しました。
あとは小説の最初の方、富とはだらだらと内部から自然にこぼれ出るもの、というあたり。
他に、登場人物のほとんどが嘘つき・・・ではなく、自己イメージが他者からの評価とは恐ろしいほど乖離していること。

他者から評価されないと、努力に対してわかりやすく評価してもらえないと、生きていけない。
なのに、優れた容貌や才能を与えられた人には努力しても勝てない、そんな現実と戦って壊れていく和恵。
嫉妬しながらも勝負から下りることで自分の身を守る「わたし」。

だけど、貧弱なグロテスクって、たぶんない。
だから和恵も、なにかをとてもたくさん芯に持っていて、
それが発酵して腐敗して、グロテスクなモンスターになったのではないのかな。

うーん、まだ読後感が混乱しているな。
でも、もう読み返したくはない(笑)

しかしこの小説、男性が読んだら・・・どういう感想を持つんでしょうか?


<9月のお花>

今年の9月は暖かかったような気がする。
去年は9月の時点でハロゲンヒーター出したけど、今年の9月は使わなかったもの。

夏の残り花

南国っぽいお花もまだ咲いていたよ。


<9月の猫さん>

職場の最寄り駅付近に住んでいる猫さん。
4月に私が来たときはちょっと皮膚病が辛そうでしたが、
最近調子がいいみたいで、上機嫌です。

猫さん分身の術

で、挨拶しようとしたら・・・なんかそっくりな子がもう一人いらっしゃるのですが・・・。
はじめてみました。分身の術?
posted by ひんべえ at 00:44| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月30日

題名嗜好症の回顧 〜8月の読書記録〜

10月になる前に、8月の読書記録を。
ま、最近は電車の中で力尽きて寝ることが多く、
記録を付けるほど本を読んでいないんだけどね σ( ̄∇ ̄;)


<8月の読書記録>

ヰタ・セクスアリス
青空文庫へのリンク

お盆休みに母と津和野へ出かけたので、その予習として読みました。
今は青空文庫で読めるのね。なんて素晴らしい。
私は学生時代に文庫本を買いましたが。
学生時代に青空文庫があれば、もっと節約できたと思う。

とは言っても、津和野の描写がそんなにあるわけではない。
ほんのちょびっと。
鴎外先生は10歳で上京してしまっているからしょうがない。
他のがあれば良かったんだけど、文庫本に収録されているレベルでは他に津和野について書かれている作品が見つからなかった。

なので、津和野については特に参考になる情報がなかったけど、
学生時代の友達が「女性と手を握った」ということで、
わざわざ料亭で祝杯をあげているエピソードが何となく好きです。

残念なのは、鴎外先生のドイツでの武勇伝がカットされていることかな。
書けないだろうけど。
書けないくせに、武勇伝を語りたいのか、さわりだけ紹介しているのがほほえましい。


ポケットに名言を



ヰタ・セクスアリスを読もうと、自宅の本棚をあさっていたときに偶然見つけた一冊。

なぜこの本が手元に来たのか、全く思い出せない。
元々私は、ほとんど詩を読まない。
自分の読む本や書く文を読み返しても、詩というものへの理解力が根本的に不足しているのだと思う。
だけど何かの縁でこの本棚に来たのなら、読まなければならないだろうと、読んでみました。

・・・
う〜ん、いまいち。
私は前から題名嗜好症とも言っていいぐらい「タイトル」が好きで、
ここ1年ぐらいは自分の日記でもタイトルに一番頭を悩ますぐらいなのですが、
だから「名言」が好きなのかというと、それはまた違う、と知った。
名言は名言なのだと思うけど、もうちょっと、その前後の関係を知りたかったな。
その辺がわからなくて、心惹かれる名言があまり無かった。
ま、私が知っている世界が狭くて、知識を共有できなかったのが一番の原因だろうけど。
そんな中、私が一番だと思った名言。


狩猟で暮らした僕らの先祖は
生きものの悲哀について話をした。
いきをひきとったときその顔に刻まれている
限界と欠乏とをあわれんだ。
ライオンの何ものをも赦さぬ目つきに、
死にゆく獲物の凝視の背後に、見た、
理性の贈り物が増やすことのできる
人間的栄光を狂い求める「愛」を、
豊富な食欲と力を、
ひとつの神の正しさを。


名言、というには長すぎる気がするけど、
特に最初の4行がいいね。

あとはね、寺山修司自身の言葉がいいんじゃないかと思ったんだけど、
それを1位にあげるとこの「名言集」の意味が無くなってしまうので、紹介だけ。


私の中で La mer−女性名詞の海が亡ぶとき、
私ははじめて、人を愛することを
知ることだろう



ノラや




これも本棚から引っ張り出した一冊。
前の本で題名嗜好症の欲求が満たされなかったので、
本棚からの中から一番のお気に入りを選んでみた。

題名嗜好症の私が知る中で、一番に秀逸なタイトルだと思います。

ノラや。

百間先生の猫への溺愛ぶりや、いなくなってしまって悲しむ感じ、
いろんな声色の「ノラや」が思い浮かんで、
シンプルな3文字ながら、込められた意味は深い・・・
と、猫好きとしては思うのです。

良いタイトルですよ。
内容は・・・タイトルから推察される、以上でも以下でもありません。

ちなみに私が題名嗜好症になったきっかけは、子供の頃のゲーム、
ドラゴンクエスト3 −そして伝説へ−
です。
クリアした後、サブタイトルの意味を知って震えた。


<8月のお花>

8月のお花

オタンジョウビニ、オハナダッテ
ヤルジャン

・・・仕事でだけどネ。


<8月のワンコ>

朝から暑かった8月。
あぢー、と、汗かきながら歩いていたら、ふと視線を感じる。

獅子丸

あっついねえ、獅子丸。
君は毛が多いから、大変だね。
と話しかけたら、返事をしてくれました。

私はこの子みたいな、毛がムクムクしている子を、とりあえず獅子丸と呼んでます。
ホントはチャウチャウなんだけど、獅子丸。
でもチャウチャウってあんまり見ないし。
posted by ひんべえ at 21:56| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月13日

2000年後のラブレター 〜7月の読書記録〜

今年は社会人になって初めて、お盆で夏休みを取得し、
明日から母と二人で旅行に行ってきます。
安芸の宮島とか、萩とか津和野とか。
広島には行ったことがあるけど、島根や山口は初めてです。
森鴎外の本でも持っていこうかな。


<7月の読書記録>

ローマ人の物語<27>すべての道はローマに通ず(上)〜<23>すべての道はローマに通ず(下)




「ローマ人の物語」のテーマである、
「なぜローマのみが民族、文化、宗教の違いを超えた普遍帝国を実現しえたのか」
がある意味でわかりやすく出ている巻。

ローマの編年史から離れて、ローマのインフラに的を絞った巻です。
小説なのに、今まで出てきた街道の写真がふんだんに掲載されていて、
わかりやすいし、ローマに行ってみたくなりました。
海の旅行も大好きだけど、たまにはローマとかもいいね!

この巻で、俄然存在感を増すのが、財務官のアッピウス。
ローマ式街道の祖であり、ローマ式水道の祖でもある人。
アッピウスが出てきた巻はかなり前なのであまり覚えていないんだけど、
かなりおもしろい人、なんじゃないかな。
この人の人生を読んでみたかった。
わき水の処理に困るほどだったローマに、「水道が必要だ!」って考えついて、
周りも説得して実行してしまう人なんて、どんな人なんでしょう。


あとは、やっぱりカエサル。
すごいねえ。どこにでもでてくるね、カエサルの名が。
これは、この「ローマ人の物語」全体がカエサルへのラブレターなんじゃないかと。
最近読んだ巻も含めてそう思います。


他の巻と比べてとっつきにくいといえばとっつきにくいけど、おもしろかったよ。


ガリア戦記




「ローマ人の物語」を一通り読んでいるのにもかかわらず、これを読んでいなかったことに気がついた。
で、ちょうど7月だし、読んでみることに。
2000年たった今でも、遠く離れたアジアの地で文庫本の版を重ねる、とんでもない名著です。

似たような名前ばかり出てきてわかりにくかったけどな!
「ローマ人の物語」などによる、予習が必須です。
予習しちゃうとネタバレもいいところなんだけど、ネタバレぐらい先にしておいてもらわないと、
理解ができずに困ってしまう。
「3月15日」と聞いても何のことやら?という日本人には仕方がないことなんでしょうか。

そんな苦労を乗り越え、ラビエヌスの活躍ぶりが読めたので私は満足です。
分をわきまえつつ、的確な判断でカエサルを助けるラビエヌスがステキです。
ラビエヌスが出てこないから内乱記は読まないもん。

あともう一回ぐらい、
「ローマ人の物語」(ルビコン川以前)→ガリア戦記
と読むと、カエサルの神の一手が理解できておもしろいかもね。



あ〜、それにしても、これで「ローマ人の物語」の文庫本を全部読んでしまった。
単行本では完結しているから、これから単行本に移行するという手もあるんだけど、
↓二人がこんなに離れるまで、文庫本で揃えてしまったので、

離れる二人
オーイ、キコエルー?
キコエナーイ

・・・
本棚の絵的に、これからも文庫本で揃えていこうと思います。
読み終わるのは何年先だ?


文庫本とはいえ、30冊も揃うと結構な重量で、本人達にとっては命がけの撮影でした。

ココデ、オシテシマエバ・・・

らいばるヘッテ、ボクノデバンガ、フエルカモ!


ナンカイッタ?
飛行キャラのジョナサン
・・・ア・・・

君の出番が少ないのは私が忙しくて、ネタを考える余裕がないからだ。


<7月のお花>

小さい頃住んでいた団地では、夏休みになるとオシロイバナがたくさん咲いていて、
私にとって夏休みと言えばオシロイバナなんだけど、
(昔から、朝顔の時間に起きられないぐらい朝に弱かった)
オシロイバナの写真撮るの忘れちゃった・・・

コンクリートでの実り

コンクリートに実る、たくましい命。


<7月の猫さん>

今年は梅雨が長かったですね。

雨宿り猫さん

みんなで高架下で雨宿り。
みんなで同じ方向向いてる。
でも、微妙な距離はとる、それが猫さん。
posted by ひんべえ at 22:09| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月15日

褒めることはムズカシイ、哀しい人間 〜6月の読書記録〜

6月もバタバタしていて、あまり本を読んでいません。

なんか、ずっと調子が悪かったんだよね。
寝込むほど悪くはないんだけど、毎日咳がでてちょっと苦しい、みたいな。
先日、会社の健康診断では、
「毎年毎年健康だけど、今はちょっと扁桃腺が腫れているね」
と言われたので、やっぱり慣れない環境に体がちょっと疲れているのかも知れません。
電車で帰るときに、寝過ごすこともしばしば・・・(; ̄ー ̄A


<6月の読書記録>

ローマ人の物語<21>危機と克服(上)〜<23>危機と克服(下)





長い寄り道の後に、ローマ人の物語に帰ってきました。
と言っても、単行本2冊分しか読めなかったけど。

神君アウグストゥスの血を引く最後の皇帝、ネロの死後の混乱から、
ヴェスパシアヌス帝の登場、再び平穏を取り戻すローマ帝国の話が「危機と克服」

私が昔世界史の授業を習ったときの記憶によると、
ローマが帝政に移行→すぐに五賢帝時代、というイメージがあったけど。
この時代の話は、広く浅い歴史書では飛ばされてしまうことが多いのかな。

読んでいると、まあ、出てくる出てくる、カエサルの名前が。
塩野さんって、ホントにカエサルのことが好きなんだなあ。
カエサルが後生に与えた影響力が強すぎる、っていうのももちろんなんですが。
カエサルは死んでも、カエサルが示したローマの将来像は消えることがなかった、
「カエサル死すともローマは死なず」
ってとこでしょうか。

フラウィウス朝最後の皇帝で暗殺されてしまったドミティアヌス。
この本を読んでいるだけは、何で暗殺までされてしまったのか、
いまいちピンと来なかったけど、
世間一般の評価では、暴君で殺されてもしょうがない、ってかんじみたいね。
内省的で内にこもるタイプの人間は、権力を持つと狂いやすいのでしょうか。


ローマ人の物語<24>賢帝の世紀(上)〜<26>危機と克服(下)



五賢帝の時代。
といっても、取り上げられているのはトライアヌスからアントニウス・ピウスまで。
五賢帝の最初の皇帝、ネルヴァは治世が2年ぐらいしかないので前の「危機と克服」の方に入っているし、
マルクス・アウレリウス・アントニヌスは次の次の巻に入るらしい。
そういえば、世界史の授業でもマルクス・アウレリウス・アントニヌスの治世になるとローマ帝国も傾いてきたと習った気がします。

読んだ感想。
「悪い人について書くのは簡単だけど、良い人について書くのは難しいな」ということ。

前に読んだ「悪名高き皇帝達」のテーマは、
「なぜ彼らは『悪』と断罪されたのか。ほんとうにそうだったのか。」で、
それぞれの皇帝について、一般的に悪と断罪されている理由、
そして、その後の研究の進展により発見された彼らの功績が明快に書かれていて、
テーマに合致した内容だったと思うのですよ。
読んでいる間、ずっとテーマを意識することができた。

が、一方「賢帝の世紀」のテーマは「賢帝とはいったい何であったのか?」なんだけど、
読み終わった後、最初の「読者に」を改めて読んで、それでテーマを思い出す感じ。
明確に「これが賢帝だ」っていうのがわかりにくかった、気がする。
賢帝と評価されている人たちを賢帝として書くわけだから、
意外性もないし、難しいところですね。

ってか、温厚な性格ででスキャンダルもなくて治世の間中戦争も起きなかったピウスの章なんてめちゃくちゃ短いし。
しかも、その短い章の結構な部分を、いろんな著書の引用で占めているし。
あのピウスの章が端的に、「良い人について書くのは難しい」ことを示している気がしました。


人のうわさ話も、いい人を褒める話より嫌な人の悪口の方が盛り上がったりするしね。
それと似たようなものなのでしょうか。

良い人のことを上手く説明できないって、なんか人間って哀しいなあ。
言霊、という信仰がありますが、
私は言葉にはやっぱり特別な力があると思うのですよ。
思っていることを言葉にする、それだけで、
思いが明確になって、自分自身を動かす大きな力になると思うのです。
だから、イイことやキレイなものを、できる限り言葉にしたいと思う。


ビジネス書 3冊ほど

これを読んでいると寝過ごすことが多いので、超キケン。



<6月のお花>

撮影したのは御蔵島だけど、通勤路でもたくさん見かける、綺麗なお花。
涼しげで、華やかです。

6月のお花


<6月の猫さん>

6月はあまり雨が降らずに、曇り空で暑い日が続きましたね。

日本風の家屋の前で、ちょっとぐったりめの猫さん。

じゃぱにーず猫さん
posted by ひんべえ at 01:04| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月30日

元文学少女の思い出 〜5月の読書記録〜

今日で6月も終わろうとしていますが、5月の読書記録です・・・
5月は出張が多かったりしたので、あんまり本を読んでいないのですが。

<5月の読書記録>

ドグラ・マグラ(上・下)








「ローマ人の物語」の続きを買おうと本屋に入ったら、なぜか私が買いたい巻だけ売り切れだった。
最近、こういうことが多い。
枕の近くに積まれたままの、ビジネス書達の呪い?

この日はちょうど上野あたりを散歩した日で、
大正ロマ〜ンでレトロな気分だったのと、
さしあたって上野で時間をつぶすために本が必要だったので、
学生時代に図書館から借りて読んだだけの「ドグラ・マグラ」を買い求めてみた。

そのムダにエロい表紙と、Wikipediaに書かれているように「本書を読破した者は、必ず一度は精神に異常を来たす」という世間の評判から、
ブックカバーなしには決して読めない本です。


・・・私はおもしろいと思うよ。
(今は面影がないけど)昔、文学少女だったとき、
「これは一度は読むべき」と言われて学生時代に一度読んだのでした。
そして、忘れられない本になった。

そんなインパクトがあった割には、
私の脳は、「脳髄論」をすっかりと忘れていて、
それも脳の企むズルサなのかとニヤリ。


しかし、普通の人が読破できないことも無いと思うけどな (^-^;
単なるナンセンスというより、
ダーウィンの進化論とかベルクソンの時間の概念とか、
当時の最先端の知識を集めて、練りに練ったら化学反応起こして残ったものがナンセンスになってました、みたいな。
上手く言えないけど。
とても捉えきれるスケールの本でもないけれど。

そして、この本の一番怖いところは、巻頭歌

胎児よ
胎児よ
何故躍る
母親の心がわかって
おそろしいのか


・・・こわいっす。


クォ・ヴァディス(上・中・下)

「ローマ人の物語」を一時中断したので、寄り道ついでに。

せっかく、「ローマ人の物語」をネロ皇帝まで読んだのだから、
やはり有名なこの小説は読んでおこうと。

図書館で借りたら自分と同じぐらいの年月が経った古い本で、
漢字が旧字体だったのでちょっと凹んだ。
旧字体の小説読むなんて学生時代以来だよ・・・。
読めるけどさ。

ちょうどネロ皇帝の話を読んだ後だったので、
似たような名前が続くローマ人の名前にもそれほど抵抗無く読めたので楽でした。
そしてその苦労がないと、かなり楽しめます。
一度読み出すとやめられない。
展開の盛り上げ方がすばらしい。

ただ、やっぱり私はキリスト教徒ではないので、
ヴィニキウスに心惹かれつつも、教義を理由にその愛を拒むリギアの心境にイマイチ共感できない。
ヴィニキウスも、まっすぐなのはいいところだと思うけどねえ。

それよりも、
深い教養と実力をもって、昂然と俗世間を見下ろしながら、
自分の欲求のおもむくままに生きるペトロニウスのほうが私のヒーローでした。


ビジネス書、2冊ほど

枕元から恨み節が聞こえてきそうな程、読んでないです。


<5月のお花>

変わったお花

通勤途中、他人のうちの玄関先で咲いていたお花。
まるで作り物みたいに、凝った形をしているお花


<5月の猫さん>

帰宅途中、ときどきリードを付けたまま庭先にでているのを見かける猫さん。
見かけたらいつもちょっとだけ頭をなでてます。

正直猫さん

この日も見かけたので近寄ったら、
ちょうど帰ってきたところだったらしい、この家の旦那さんに
「この猫はさわれますよ」と話しかけられました。
声をかけられるまで旦那さんの存在に気がつかなかったよ。
びっくり。

きっと、猫さんを見たときに (゚∀゚) こんな顔をしていたのを見られたんだろうな。

旦那さんは
「ほら、おいで」と猫さんをもっと近づけようとしてくれましたが、
猫さんは微妙に旦那さんから逃げたがってました。
きっと、旦那さんはエサやりとかしないんでしょう。
猫さんは正直です。
posted by ひんべえ at 23:57| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月05日

誠心誠意生きるということ 〜4月の読書記録〜

最近、電車での通勤時間がとても長くなりましたので、電車の中で本を読んでおります。

ホントは、英語の勉強でもするのが自分の人生のためになるんだろうけど、
そんなに根を詰めた生き方をしていたら、
通勤途中に湘南新宿ラインにでも乗り換えて海の方へ逃亡するかも知れないので、
痛勤時間ぐらいは好きにさせてもらっています。

4月に読んだ本はだいたい10冊ぐらいかな。
(通勤時間が長いんだよ。)

前に電車通勤していたときも、日記にその月に読んだ本を記録していたのですが、
これが意外と、未来の私にとっての参考となったので、
これからも記録を付けてみようかなと思い立ったのです。


<4月の読書記録>

ローマ人の物語<11>ユリウス・カエサル―ルビコン以後(上)〜ローマ人の物語<20>悪名高き皇帝たち(4)




1年以上前、「ローマ人の物語<10>ユリウス・カエサル ルビコン以前」までは読んでいたのですが、
この「ローマ人の物語<10>」を読み終わった後に、夜寝付けなくなるほど興奮してしまい、
この本を読み続けていては、情報処理試験の勉強が手につかなくなってしまう、と、
ずっと読むことを封印していた本でした。
それを、この機会に封印を解除。

噂では、カエサルの登場部分が一番おもしろいとも言われている「ローマ人の物語」。
その、いわばクライマックスを読んでしまった後なので、
その後の私のテンションが下がったのは否めないとはいえ、
やっぱりおもしろかったよ。

凡人の私としては、クラウディウス帝の最期が悲しかった。
クラウディウス帝は恐妻家で志薄弱で、
正直、彼の功績を読んでいるときはあまり好感を持てなかったけど、
どんなに地味で見栄えがしなくても、誠心誠意努力して皇帝としての役目を果たしていたときに、
燃え尽きてしまったように毒殺されてしまったところで、
凡人の私は何とも言えない淋しさを感じたのです。


デュシャンは語る




「死ぬのはいつも他人ばかり」の名言を残したデュシャン。
美術館で作品を見てもよくわかんなかったけど、
そのかっこいい生き方に惚れたので、
晩年のデュシャンがインタビューに答えているこの本を手にとってみた。

・・・
美術の教養を全く持たない私には難しかったけれども、
(言葉遊びを好むデュシャンであれば、本来は原書を読むべきなんだろうな。)
そんな私にも読めるのは、「芸術家の創造」というのを嫌ったデュシャンという人だからなんだろうなと、
上手く言えないけど、そう思った。


ビジネス書、4冊ほど

これは好きで読んでいるわけでは無いので、カット。


−−−−−−

読書以外のお楽しみ。

本を読んだ後に歩く新しい通勤路は、花がとてもキレイな街なのです。

黄色いバラ

新しい友達もできました。

駅前の猫さん
posted by ひんべえ at 23:46| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月25日

ふるさとは本の中

カポネ・カポネち




ブルドックのカポネを飼いはじめて看取るまでの物語。
全700ページの大ボリューム。

この漫画の舞台(正確に言うとモデル)になっている霞ヶ丘団地は、
私が、生まれてから18歳までを過ごしたところなのです。
作者との年齢差を考えると、漫画になっているのは私が4歳から13歳までの間ぐらいかな。
幼い私にとって、自分で行動できる世界が団地の中ぐらいだった、
ちょうどそのころのお話。

なので、漫画に出てくる光景、すべてが懐かしい。


野良なのか飼われているのか、その間ぐらいの猫が家によく遊びに来ることとか、
 →団地では動物を飼えないせいか、いろんな家からエサをもらう、半野良が多かった気がする。
  いろんなのが来たけど、茶白の兄弟?猫が一番印象に残っているかも。
  たくさんの猫との出会いと別れがありました。

お母さんが持っているスーパーの袋が「イイダ」だったりとか、
 →三丁目はイイダが一番近かった。一丁目は東武ストアかな?

カポネが自分のウチが分からなくなるぐらいに同じ造りの家が並んでいることとか、
 →私は同じ団地に住む友達の家に行こうとしてよく迷子になってました。
  マジで同じ風景がひたすら続くんだもの。あれは特殊な空間。

カポネが一人では降りられないちょっと急な階段の感じや、階段の周りを一回りできる間取りとか、
 →霞ヶ丘団地では、テラスハウスの家は中の造りも全部一緒でした。
  育った家の中が漫画になっているのは、ちょっと不思議な感じ。

鍵がなくてもいろいろよじ登ると2階の窓から進入できる家の造りとか、
 →私は子供だったのでトイレの窓から入ったことがある。鍵が無くて困っていた人の家に。

禁止されているはずなのに意外と動物を飼っている人が多かったりとか。
 →となりに住んでいたタロウとジロウの黒猫兄弟とは仲良しだった。


風の噂で、霞ヶ丘団地はすべての立て替えが終わったと聞き、
もうあの地には私が育った風景はありませんが、
こういう形でふるさとの記憶を持つのもまた一興かと思い、即買いしてみた。
そしたらあっという間に品切れ?でもう買えないみたい。
まだ買えるみたいなので、リンク先を修正しました(12月27日追記)

この本は大切にしよう。


もちろん、この漫画の魅力は元団地住民の内輪ネタだけではないので、
動物と一緒に過ごしたことのある人ならとても楽しめると思います。
おもしろく、そしてせつなくなる、そんな漫画。
なによりカポネのしぐさがかわいい。

うちは犬ではなくて猫だけど、読んでて意外と共通点が多かった。


一応本名はあるんだけど、なぜか家族であだ名がいろいろできあがっていくこととか、
 →本名が「ミー」って単純きわまりないのに、なぜか「ミータ」とかいろんなあだ名がある我が家のミーちゃん。

飼い始めたころはケージの中で寝るって決めたのに、いつの間にか人間と同じ布団で寝ることとか、
 →うちは3日ぐらいでケージを出たね。

だけど一緒に寝るとなぜか人間が布団から押しやられるので、寝不足になることとか、
 →ミーちゃんは枕まで使います。

飼い始めはいろいろ躾ようと試みるのに、酔っぱらったお父さんが甘やかしてダメになるとか、
 →ノーコメント


こんな光景はウチだけではないんだ。と思ってちょっと安心してみたり。


たくさんの思い出の中で、
私はカポネが芸を拒否する話が一番好きです。
あと、おなじみだった猫の白ちゃんの最後の話。

ただ、一点だけ言わせてもらえば、
元は「カポネ・カポネち」だったのに、「幸せを運んだブルドック」に改題したのはなんでかな〜?
前の題名の方が好きだった。
最近日記のタイトル考えるのがブームになっている、題名嗜好症の私としては。



最後のあとがきの中で、

私がカポネに幸福にしてもらったその百分の一でも、私はカポネによくしてあげただろうか−。


というところでちょっと涙。
辛いお別れの後、出口の無い自問自答。
(ミーちゃんじゃないよ。)



人間に冷たくされ、ボロボロになっても彼は人間が好きだった。では、人間は・・・?
posted by ひんべえ at 23:52| 東京 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月31日

興奮冷めやらず

勉強とかいろいろしなければならないと思いつつ、
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前 下」を読んでしまった。

ローマ人の物語(10)


まさに「賽は投げられた」のルビコン川を越えるところ、
十三年来の同士であったカエサルとラビエヌスが袂を分けたところでこの本は終わる。
今まで比較的淡々と進んできた物語が、ここに来て一気に盛り上がる。

私はカエサルとラビエヌスの決別の部分で気分が高揚し、
未だ興奮冷めやらず、という感じです。
今日は眠れないかも・・・


カエサル自身の筆による「内乱記」におけるラビエヌスへの記述の部分で、
なんかノックアウトされてしまいました。

だが、なぜその一行を、そこにわざわざ入れねばならなかったのか。なぜ、かたくななまでにカエサルに反抗をつづけるラビエヌスを、そこで登場させねばならなかったのか


超越したカエサルにも存在する、心乱れる部分に迫っているとおもいます。

と、ここまで熱く語ったところで、
まだ私は「内乱記」の部分である、ルビコン以後を読んでいないんだけどね。
読んだら又感想が変わるかも知れないけど、
ま、今のこの興奮を素直に書くとこんな感じなのです。

しかし、ここで勢い込んで新しいのを買ってしまうと、
また何もしないで一気に読んでしまうのでしばらく封印。
おとなしく、もう一度読み返そう。

なんといっても、カエサルだけで文庫本で6冊分。
ものすごくおもしろいけど、さすがにやりすぎなのではという感じはする。
posted by ひんべえ at 00:19| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。